2015年2月11日水曜日

フィリピン旅行

日本に本帰国する前、フィリピンのセブ島とマニラへ旅行に行ってきた。フィリピン、とくにマニラは下調べの段階でネット上に悪い評判しかなく、かなり身構えて行ったが、それなりには楽しめた。

マクタン島ホテルのプライベートビーチとホテル周辺
セブ島は語学留学も多いし、ハワイのようなリゾート地をイメージしていたが、行ってみると全くそんなことはなかった。セブ島はかなりイメージ戦略がうまいと思う。滞在したのはセブ島に隣接したマクタン島だったが、ホテルの所有地とショッピングモール以外は、建物や道路も整備されていない。世界はショッピングモールとホテルだけがグローバルに均一化しているが、その内と外で分断している。

フィリピンはキリスト教国でかなり信仰も厚い。滞在していた時期がちょうどローマ法王の滞在時期と被っていて、飛行機や街中の交通が麻痺していた。マニラは法王の滞在時期は祝日になったようだ。タクシーでも十字架をミラーにぶら下げているドライバーが多かった。

セブシティーのジプニー

フィリピンの街中で印象的だったのはジプニーだった。これはバスとタクシーの中間ぐらいの役割を持ったもので、街中で相乗りしてどこかに向かう。現地の住人向けで、観光客が乗るのは難易度が高い。これはたぶん個人がハイエースのような車を買って、それを改造して10人くらい乗れるようにしているのだが、デコトラみたいにそれぞれの車が独自の装飾を施している。ここにもローカルなヤンキーカルチャーは存在する。

ズブチョンのシシグ
フィリピンのローカルフードは基本的に挽き肉を濃い味で炒める系のものが多い。シシグという豚の挽き肉を炒めたものが美味かった。あとLaingというココナッツミルクと何かの菜っ葉を混ぜて煮込んだようなものも美味かった。セブにあるズブチョンというレストランがおすすめ。日清のカップ麺でそばめしを売ってるのをよく見かけたが、そばめし系の味がフィリピン人の好みのようだ。しかし化学調味料系の味が多いし、野菜を全然食べないので、ヘルシーではないだろう。味の素は実は見えないところで世界の胃袋を支配しているのかもしれない。

北京のPLAY
中国は偽物大国のイメージが強いが、いかにも偽物っていう商品は最近減ってきていて、偽物であっても結構質が高かったりする。一方フィリピンではチープな偽物であふれていた。アジアではギャルソンのPLAYの偽物をよく見かける。たぶんギャルソンが高級品、というよりもハート型のトレードマークがかわいい、という理由によるものなのだろう。

フィリピンで酷かったのはぼったくりだ。街中でぼったくりに会うのならまだ分かるが、空港内に店を構えているタクシー業者やポーターがぼったくりなのには驚いた。空港内のサービスだからといって、安心して金を出さない事を忠言しておきたい。英語が通じてアメリカナイズドされていると言っても、インフラや一般的な生活水準はまだまだ不備が多いように感じた。フィリピンから北京に戻ってきたら、北京はああ見えても結構近代的で文明的な所なのだなと再認識した。

2015年2月4日水曜日

本帰国

先週、ついに日本に本帰国した。北京だけで約2年半、パリと台湾を含めると約5年日本を離れていたことになる。長かった旅がついに終わった。

北京の2年半は本当にいろいろなことがあった。とくに最初の半年は地獄だった。台湾とのギャップに加え、着いて早々の反日デモ。さらに飯も口に合わなくて、来て2週間で5キロは痩せた。追い打ちをかけるように大気汚染、鳥インフルエンザ、人間関係で揉める・・・、などなど数え上げればきりがないくらい災厄に見舞われた。この頃は中国に対する憎悪と自分の選択に対する後悔しか持ち合わせていなかった。

半年ほどたって暖かくなると、ようやく落ち着けるようになった。2012年頃は中国のギャラリー街やアートフェアにも積極的に出かけた。あわよくば自分の作品も売り込んでやろうと考えていたが、そんな淡い期待は早々にして打ち砕かれた。中国では全くと言っていいほど誰にも自分の作品がはまらなかった。ここでも中国の壁にぶつかる。

アートに関しては、中国と日本で全く感性が違うように感じた。中国ではいわゆる「日本」的な、たとえば技巧の凝らされたコンパクトでフラットでオブスキュアで箱庭的で・・・、なんてのは全く通用しない。もっと雑で荒々しくていいから、スケールの大きな明瞭なコンセプトの作品の方が好まれる。日本では「弱さ」に美を見つけるが、中国では「強さ」に美を見出す。またそもそも日本、もしくは西洋のポストモダン的な価値観を中国は共有していない。戦争があって、冷戦があって、資本主義社会があって、それを通過した上で「あえて」表現された作品の「あえて」の部分が全く伝わらない。現代の中国は市場経済主義の国だとは言ってもやはり左の思想が強く、現代アート作品にもそれが結構影響しているように思う。ジャック・ランシエールの美術論が強い影響力を持っていた。

また中国は欧米のアートシーンの影響をダイレクトに受けてる。ニューヨークの一流ギャラリーが香港や北京に出していたり、中国のギャラリストもニューヨークで修行を積んでいたり、またアートバーゼル香港もあるせいで、西洋のトレンドがそのまま入ってくる。近年世界的に流行ってる具体、もの派、草間などの日本のアートも、欧米を経由して中国で入ってきた。中国人のコレクターは投機目的で買うことも多く、トレンドに敏感である。

この状況を鑑みると、日本の無名若手作家が中国でやっていくのは相当に厳しい。この2年間はそういった状況の中でどうするべきか試行錯誤を繰り返した。その中で見つけた一つの答えはジェネレイティブアートである。アートと数学と教育、この三つを統合するものとしてジェネレイティブアートには今後の可能性を感じている。

時間が経つにつれ中国人の気質やつきあい方、北京の街にも慣れたが、最後まできつかったのは大気汚染と給料の安さだった。毎日の空気が汚いのは精神的にかなりきつい。朝起きて窓の外が真っ白なスモッグで覆われている風景をみると、一日中絶望的な気持ちになる。環境が精神に及ぼす影響は想像以上に大きい。

そして北京は物価が本当に高い。給料は日本のポスドクの半分以下なのに、北京の「ちゃんとした」食料品や家賃は東京と変わらない。いまは円安なので、サービスの質やコストパフォーマンスを考えると、絶対に東京の方が安いと思う。日本で中国人観光客が大量に買い物をする理由もよく分かる。

中国に対する自分の心持ちは複雑である。好きか嫌いかでいうと好きではないだろうが、かといって嫌いでもない。生活は快適ではないし、もう一回住みたいかといわれると今のところはもうこりごりだが、たまに行ってみてもいいかもしれない。中国のことはまだ全然知らないし、そんなに深い入りもしたくないが、興味深いとは思う。中国は負の側面が多いし、酷い国だとは思うが、少しはいい所もあるし、少しはいい人もいる。この微妙な距離感を保ちたい。