2012年11月25日日曜日

上海

中国ではようやく党大会も終わり、新たな国家主席に変わりました。それに伴い、ここ最近はインターネットの接続がとても悪く、gmailすらまともに使えない日が続いています。北京に住んでいると、政治的なことが直接生活に影響してきますので、台湾や日本に住んでいたときよりも政治にリアリティを感じるようになりました。例えば何らかの影響で道が混むようになったり、DVD屋が閉まったり、日本料理屋が閉まったり。今までの僕の絵では、日本的なある種の「稚拙さ」にリアリティを感じ、それが作品のベースになっていたのですが、北京に来てから感じたこのリアリティを次の作品では取り入れてみたいなと思っています。

ところで先週末、上海に行ってきました。北京ではもう最低気温は氷点下を下回っていて、大阪の真冬くらいの寒さですが、上海はまだそこまで寒くなくてなかなか快適でした。3日しか居てなかったのですが、かなり過ごしやすく、なぜ上海を選ばなかったのかと強く後悔しているほどです。

今回上海に行ったのは、観光と上海のアート状況を見て回るのが目的でした。北京ではアート関連の知り合いも全くおらず、いまいち中国のアート状況も分からなかったので、この旅では上海でギャラリーを経営されてるoffice339の鳥本健太さんを訪ねました。ちょうどoffice339に所属されているNamHyojunさんというアーティストが上海のギャラリーの企画展に出展されていたので、それも見に行ってきました。Hyojunさんは韓国籍で日本で生まれ育ち、現在上海在住という経歴を持つアーティストで、自らの出自をベースに作品を作っています。今回出していた作品は、一見のっぺりとした風景画に見えますが、そこには地政学的な意味合いやweb画像的な平坦さが含まれていて、なかなか興味深かったです。今年の春にニューヨークで日本のアーティストに会ったときにも思いましたが、海外でがんばっているアーティストに出会うと、色々刺激を受けますね。

二日目は上海に住んでいる友達に紹介してもらって、上海を色々観光しました。(僕の知っている)北京の街並みは、新しい建物と古い建物がきれいに分かれていて、そこで歴史が断絶されているような印象を受けるのですが、上海の街並みは古い建物と新しい建物がうまく調和していて、租界時代の歴史を街が引き継いでいるような印象があります。あと、たまたまかも知れませんが、上海のタクシードライバーの方が人当たりがいいですね。

今まで北京のごく一部を見ただけで中国を見たつもりになっていましたが、上海にも行ってみると「中国もそんなに悪くないかも」なんて思い直しました。北京から上海は結構安く行けますし、またちょこちょこ来てみたいと思っています。

あとof the neige -style-とのコラボで作ったシャツも最近発売しました!自分で作っといてなんですが、すごい柄のシャツなので、ぜひチェックしてみてください!



2012年11月16日金曜日

my bloody valentineの思い出・後編

前回の記事からのつづき

5.当時聴いていた音楽


マイブラとそのファンサイトの人たちから教えで、シューゲイザーやギターポップに傾倒するようになったのもこの頃だった。当時は甘い歌声と浮遊感のある轟音ギターサウンドには目が無かった。マイブラ以外で当時好きだったものを挙げてみると、rocketshipall natural lemon & lime flavorsbelle & sebastianmogwailuminous orangedamon & naomistereolabthe flaming lipsyo la tengoなどなど。

mogwaiは99年11月に心斎橋クアトロで初来日ライブがあって、マイブラのファンサイトの人たちと一緒に行った。あとdamon & naomiも02年に来日ツアーがあったのだが、彼らは非常に親日家な人たちで(アルバムのジャケにも寺の写真を使ったりしている)、実家の近くにある奈良の西大寺の民家で、人数限定でライブを行っている。これに行ったことも、数少ない自慢のひとつである。

日本のアーティストだと、一人で行った初めてのライブが99年夏のナンバーガール@心斎橋クアトロだった。ナンバーガールはこの頃にメジャー1stのschoolgirl distortional addictを出していて、当時高校生だった頃の気分とこのアルバムがばっちり一致したのを覚えている。ナンバーガールはその後秋にあったbloodthirsty butchersとのジョイントツアーにも行った。当時ミーのカーが出た時くらいのゆらゆら帝国の学園祭ライブも見に行っている。

あと京都のグリーンレコーズという京都のインディーレーベルにも夢中だった。このレーベルはマイブラのファンサイトの人たちの中で話題になっていたレーベルで、僕はとくにbambi synapseというバンドが大好きだった。このバンドはボーカル、ドラム、電子楽器という変わった編成で、電子楽器はTANZMUZIKやCX AUDIO IEのサワキオキヒデが担当していた。この人はいま祇園でだる満という京料理のお店をやっているんだけど、天才音楽家の一人だと僕は思っているので、ぜひ音楽活動を再開して欲しい。

99年末に京大西部講堂であったscience fictionというグリーンレコーズ主催のイベントも非常に印象的だった。このイベントではレーベル所属のアーティストの他、今は亡きrei harakamiと竹村延和も出ていた。このライブで衝撃だったのは竹村延和のライブだった。ラップトップ一台を前にほぼ動かず、そこから今まで聴いた事ないような音楽を奏でる姿はまるで科学者のようで、数々見てきたライブの中でも最もクールだった。これ以降、徐々にテクノにはまるようになっていく。

6.マイブラと雑誌

マイブラを聴きだすようになってから、音楽雑誌も読むようになりはじめる。ちょうどその頃、奈良にも初めてヴィレッジヴァンガードがオープンし、マイナーな本や雑誌も手に入るようになりはじめた。とくに自分がよく聴く音楽には伊藤英嗣という人がライナーノートを書いているということに気付き、氏の雑誌クッキーシーンを読むようになる。この雑誌はミュージシャンのインタビューはもちろん、音楽以外の記事も充実してい、それも面白かった。結構多くのライターがその雑誌に文章を書いていて、だんだん個々のライターについてもチェックするようになった。

その中のライターの一人に桜井通開(mojix)という人がいて、氏の作っているミニコミ誌shortcutとの出会いも大きかった。shortcutはミニコミ誌にもかかわらず扱うジャンルが広く、音楽や写真や哲学からエロまで、幅広い分野をクオリティーの高い内容で巻数を重ねていた。コピー機で作った印刷物をホッチキスで止めた簡易なつくりだったけど、本のデザインも凝っていて、今のzineブームを先取りするようなミニコミ誌だったと思う。このshortcutのwebサイトのチャットで近所に住むホイさんという人と知り合い、ホイさんからshortcutのバックナンバーや哲学の本、ガロ系の漫画、テクノのCDを貸してもらっていた。そしてホイさんから借りたエイフェックスツインのアンビエントワークスが、マイブラに次ぐ2度目の音楽的「覚醒」を与えてくれたのだった。

7.マイブラと奈良

奈良には僕の知る限り1件だけ個人経営のレコードショップがあった。Djangoという名のその店は、僕が物心付く前からあって、これだけ音楽不況の今でもまだ営業している。その店はピチカートファイブやフレンチポップ、ネオアコといったいわゆるオリーブ少女系の音楽が多くて、僕の趣味とはちょっと違っていたのだけど、グラスゴー周辺の音楽やステレオラブも扱っていたので、たまに顔を出していた。

店にはバンドのメンバー募集の貼り紙を貼るスペースがあった。だいたいメンバー募集の貼り紙には、好きなアーティストや募集パートが書いてあって、連絡先を千切って持って帰れるような仕組みになっている。偶然そこに目をやると、僕が当時聞いていた音楽とぴったり趣味が一致する人を発見し、別にバンドを組む気なんて全く無いのに、嬉しくなって電話をかけてみたことがあった。それがきっかけで、奈良の極小さい音楽シーンの人たちと知り合うようになる。

その奈良のシーンの中でも古株のバンドでStrawberry landというバンドがあって、そこのギターの東さんという人は、奈良の高校生の間で有名なcome togetherという古着屋のフリーペーパーのコラムを書いていた。そのコラムの中で東さんが僕のことについて触れてくれたことがあった。普段は高校の教室の隅で誰も共感してくれない音楽を聴いていたのに、そのコラムがきっかけでクラスのかわいい女子から話しかけられて嬉しかったのを覚えている。ちなみにその高校の同級生にlostageのギターの五味くんもいたのだけど、音楽好きは同じであっても彼はもっとモテていて羨ましかった。

高校の同級生はなかなか僕の好きな音楽に共感してくれなかったけど、当時通っていた美大予備校の友人には共感してくれる人もいた。中でも森内くんという音楽をやっていた友人がいて、彼からは他の音楽や機材の事についても教えてもらっていた。一緒にセッションをやったこともあった(僕はテルミンをいじくっていただけだったけど)。彼はcheekboneという名で今も音楽をやっている。rose recordsから出た彼の1stアルバムでは、僕がアルバムアートワークを担当させてもらった。

8.その後

高校2年の頃がマイブラやその周辺の音楽に最もハマっていた時期だった。その頃は自作のアイロンプリントでマイブラのTシャツを作り、学校に着て行くくらい大好きだった。でもそこから徐々に嗜好がテクノに移ってゆき、しばらくマイブラから気持ちが離れてしまう。2003年にロストイントランスレーションの音楽でケヴィンシールズが新作を発表すると聞いたときもそこまで乗り気になれなかった。あの映画の選曲センスは僕の好みと全く一致していたので、ソフィアコッポラに軽く近親憎悪的なものを感じていたほどだった(一介の大学生がソフィアコッポラに近親憎悪を抱くなんて、何様のつもりなんだろう)。

前にもブログで書いたように、北京に来てから再びロストイントランスレーションを見直すとすごく良かったので、サントラも聴きなおして、いま再びマイブラを聴きなおしている。そんな折に新作とライブの情報を耳にして、高校生の頃の自分からまた一周して再び元に戻ってきたような万感の思いを感じている。長々と思い出話を書いてしまったが、高校の頃にマイブラがきっかけで出会った人たちが、何かのきっかけでこの記事に辿り着いてくれたらとても嬉しい。

2012年11月13日火曜日

my bloody valentineの思い出・前編

北京は11月になって急に寒くなり始めました。これも寒さの序の口だと考えると気が滅入ります。。。今のところ来年の春に東京で展示をするような感じで話が進んでいて、それに向けての作品を作っています。また情報が公開できるようになりましたら、お知らせします。

ところで、1984年にアイルランドで結成されたmy bloody valentineというバンドをご存知でしょうか?最近このバンドが約20年ぶりにニューアルバムを出し来日ツアーをするということがニュースになっています。うかつな事に気付くのが遅く、チケット発売から結構経ってしまっていたのですが、運よく大阪初日のチケットを購入することができました。まさか今生の間にこのバンドの新譜とライブに出会えるとは思っていなかったので、非常に興奮しています。それと同時にこのバンドを愛して止まなかった高校時代の思い出が急速に蘇ってきました。そんな思い出話を書いていると結構長くなってしまったのですが、もし興味があれば読んでみてください。
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1.NHK-FMでの出会い

マイブラ(略すときはMBVと書くのが流儀かもしれないが、あえてかっこつけずにマイブラと呼びたい)との出会いは忘れもしない1999年、僕が高校2年の頃のゴールデンウィークだった。そのときはNHK-FMで90年代ブリティッシュロック特集を5夜連続でやっていて、地方に住む、音楽の情報に飢えた高校生の僕は、その番組をエアチェックしながら聴いていた。たしか第1夜はストーンローゼスがかかっていたと思う。へ~と思いながら聴いて向かえた第2夜。第1曲目を聴いてぶっ飛んだ。それがこの曲だった。

当時はちょうどメロコアが流行っていて、僕も高校の同級生たちの影響でグリーンデイやハイスタを聴いていた。あと美大予備校で出会った友人の影響でニルヴァーナもよく聴いていた。もちろんそれらの音楽は当時も今も大好きだけど、マイブラを聴いたときはそれとは全く違った、世界が一変するような、そんな衝撃を感じた。こんな音楽が存在することに驚いた。カセットテープに録音したこのラジオ番組は、曲だけ抜き出してMDに入れて本当に何百回も聴いた。今でもwhen you sleepはCD版での音質よりも、この自作MDに入っているラジオの音質、そして粗悪なカセットテープの影響でやや遅くなったBPMで聴くのが一番心地よい。

マイブラで衝撃を喰らった僕は、一気に聴く音楽が変わった。そのラジオ番組の第2夜はセカンドサマーオブラブ及びシューゲイザー特集で、プライマルスクリームやジーザス&メリーチェイン、そして当時出だしたモグワイなんかもかかっていて、それらが僕の全てになった。高校のメロコアを聴いてる同級生にも聴かせてみたけど、どうも反応が鈍くて乗ってこない。この素晴らしさを誰か理解してくれないのか、そしてマイブラみたいな音楽は他にどんなのがあるんだ、それに答えてくれたのが当時民間にも普及しつつあったインターネットだった。

2.90年代末のインターネット界隈

僕の家に初めてパソコンが来たのが確か僕が中3くらいの頃、windows 95が搭載されたFMVだった。一応時代の波に乗ろうと思って親父が奮発して買ったのだけれど当初は完全に無用の長物だった。僕も「インターネットでエロ画像がただで見れる」という情報を聞きつけて、インターネットにつなげてみるも、海外のエロソフトに騙されてしまい、NTTから数万円の請求書が来ることもあった(トンガに数時間通話した事になっていたらしい)。そんな事もあってパソコンをうまく活用できていない状態が続いていたのだが、何となくパソコンをつなげてyahooで「my bloody valentine」と検索してみた。

するとマイブラの日本語のファンサイトが結構出てきた。当時は個人のホームページが徐々に出てきだした頃で、なおかつ2ちゃんねるとかも出てくる前で、インターネットの世界はコアな人たちだけが平和的に盛り上がってる良い状態だったように思う。マイブラのファンサイト(やっぱり英単語は全部小文字が基本!)ではマイブラの紹介とともに、自己紹介やおすすめバンドや友人サイトへのリンク、そしてteacupの掲示板(BBS)が定番だった。

当時は高校生で金もなく、無料で音楽が聴ける便利なサイトなんて無かったので(100kbのjpeg画像ですら開くのに1分くらいかかった)、なかなかそこで紹介されてる音楽を聴くこともできなかった。そこでBBSをのぞいてみると、その例のラジオ番組のことが「あの番組すごかったよね」的な感じで話題になっていた。僕も嬉しくなって「すごかったです!録音して何回も聞いてます」という感じの事を書き込んでみた。それが多分人生初書き込みだったと思う。共感できる人間がいるのが単純に嬉しかった。その書き込みから二日後、メールボックスに知らない人からのメールが来ていた。

3.初めてのメールのやり取り

「***(死ぬほど恥ずかしい人生初のハンドルネーム)さん、はじめまして。私は大阪に住む大学生の***と言います。マイブラのファンサイトで投稿見ました。この前のNHKFMの放送録音されていたんですね。私はそれ、聴けてなくてすごく後悔しています。もしよければその放送ダビングして送っていただけないでしょうか?代わりに何か希望の音源(この時初めて曲のこと「音源」って言うことを知った)あれば、テープ送ります。」

こんな感じの内容だったと思う。それまでe-mailなんてほとんど使った事もなく、一応BBSの投稿でメールアドレスの欄があったので書いてみたのだが(ネット上のプライバシーもゆるい時代だった)、まさか返事が返ってくるとは思っていなかった。なおかつ女子大生から!なおかつ喉から手が出るくらい欲しい音楽を!インターネットすげーー、と思った瞬間だった。

手紙を書く習慣も無かった僕は、パソコンと格闘してかなり入念に文章を書いた。詳しい内容は覚えてないけど、マイブラが好きだと言う事と、地方の高校生でたくさんCDも買えない、だからカセットテープにダビングして欲しい、というような事を童貞高校生丸出しの気持ち悪い文体で書いたのだと思う。今仮に僕がそんなメールを童貞高校生から受け取っても、速攻削除すると思うのだが、その女子大生の方は丁寧にメールを返してくれた。話によるとその人は大阪芸大に通ってる人で、高校に教育実習に行ってるけどなかなか大変だという話だった。実際にテープのやり取りもして、無事マイブラの"loveless", "isn't anything", "you made me realize"のテープをゲットした。手書きの手紙まで添えてくれていて、これは今でも実家の引き出しの奥にしまっている。

4.マイブラのファンサイトに出入りする

その後、これに味をしめた僕はマイブラ関連のサイトに足繁く通い、BBSにも色々書き込むようになる。何を書き込みしていたのかは全く思い出せないが、たぶん高校生でマイブラを聴いてるという特殊性(マイブラリスナーは30歳前後の人が多かった)を存分に生かした、独りよがりな書き込みをしていたのだと思う。

当時はホームページのトップにカウンターを置く習慣があって、キリ番と呼ばれるキリのいい数字を踏むと(ゲットした人はキリ番ゲッターと呼ばれる)、ホームページの管理人からプレゼントをもらえた。マイブラ関連のページだとだいたい管理人が作ったコンピレーションカセットテープもしくはMDがもらえる。僕はキリ番ゲッター狙いでトップページを頻繁にチェックし、キリ番に近づくとリロードしまくってキリ番をゲットした。関西に住んでる人も多くて、たまに一緒にライブを見に行くオフ会もあった。僕は長男だったので音楽を教えてくれるような兄や姉の存在に憧れていたのだが、彼らはまさしくそんな役割を担ってくれた。

僕の記憶する限りで覚えているサイトをあげると、satocoさんの"burst into bloom"、gomoraさんの"life as a dog"、norikoさんの"マイブラ予備校"などがあった(検索してこの記事を見つけてくれると嬉しいな)。15年くらい前の話なので、たぶんみんないい年の中年になっているはずだけど、間違いなく来年のマイブラ来日は来るはずだ。なぜならマイブラの新譜やライブが、あのサイトに出入りしていた人たちの共通の夢、それはSF愛好家たちが宇宙人に出会う事を夢見るような夢想であったのだから。

後編につづく