2012年12月30日日曜日

現実と仮想をめぐって

2012年もそろそろ終わりに近づいてきました。そして先々週についに30歳になり、私ももう若くはない年齢になってきました。気付けば20代の多くの時間を数学とアートに費やしてきました。このブログでは数学とアートについて考えている事を書こうと思っていたのですが、数学の事を全く書いていませんでした。数学の話をちゃんと分かるように書くのは色々面倒くさくて難しいからです。。「アートと数学の共通点は何か」、僕の手に余るこの大きな問題について、曲がりなりにも今の時点で考えている事を書いてみたいと思います。

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「現実」と「仮想」。世界を認識するとき、この二つの対比がしばしば使われます。例えば「仮想世界」というと、頭もしくはコンピュータの中にある現実には存在しない世界であり、「現実世界」というと実際街を歩いていて目にする物体が作る世界を想像するでしょう。「現実世界を認識する」と言う場合、それは目で見た風景や耳で聞いた音など五感を通じて得た情報を元に、それを頭の中で構築しなおして現実世界を認識します。つまり「現実」を認識するには、いったん仮想の世界を通してそれを認識するわけです。

ではなぜ現実世界を認識するために仮想が必要となるのか?それは現実があまりにも複雑で情報量が多いため、それを縮減して仮想の世界で考える必要があるからです。実際目に入ってくる情報量は膨大ですから、それを記憶したり認識して意味を掴むためには情報量を落として、記号や数字として処理する必要があります。数学とはこういった仮想の世界に枠組みを与えるものである、と言えるでしょう。例えば下の画像を見てみましょう。

ほとんどの人は「三角」と「丸」の図形だと認識するでしょう。そして道具さえあれば、これらの図形を再現して描く事ができるはずです。ここでは目で見た上の画像をいったん「角が3つある線の図形」と「中心点から等間隔に離れた線の図形」という性質に縮減して認識します。そしてこの二つの画像の違いも、この情報から区別する事ができます。幾何学では物の形をこういった抽象化された「図形」として扱い、それぞれの図形を区別するような重要な性質は何か、ということを考えたりします。

では「図形」とは何か?先ほど数学とは仮想の世界に枠組みを与えるものであると言いましたが、仮想の世界の話ですので、必ずしも現実世界に対応していなくても良いのです。実際目に見える物というと、縦・横・高さの三つの軸がある三次元の世界しか我々は目で見る事ができませんが、数学の枠組みだと目に見えないような高次元の図形も考える事が可能なのです。

ではそういった仮想世界の枠組みが一体現実世界にどう影響を与えるか?目で見えない図形なんか研究しても現実世界では何の関係もないんじゃないか、なんて質問もよくされます。しかし仮想の世界の枠組みが現実世界の認識を変えることはしばしばあります。例えば宇宙のような超巨大なものを考えたり、素粒子のような超極小のものを考える場合、人間の知覚だけではそれらを認識することはできません。科学ではそういった場合、数学的な仮想上の理論を作って、それを確証するために実験を行います。仮想と現実の相互作用により、世界の認識は深まるのです。(つづく)

2012年11月25日日曜日

上海

中国ではようやく党大会も終わり、新たな国家主席に変わりました。それに伴い、ここ最近はインターネットの接続がとても悪く、gmailすらまともに使えない日が続いています。北京に住んでいると、政治的なことが直接生活に影響してきますので、台湾や日本に住んでいたときよりも政治にリアリティを感じるようになりました。例えば何らかの影響で道が混むようになったり、DVD屋が閉まったり、日本料理屋が閉まったり。今までの僕の絵では、日本的なある種の「稚拙さ」にリアリティを感じ、それが作品のベースになっていたのですが、北京に来てから感じたこのリアリティを次の作品では取り入れてみたいなと思っています。

ところで先週末、上海に行ってきました。北京ではもう最低気温は氷点下を下回っていて、大阪の真冬くらいの寒さですが、上海はまだそこまで寒くなくてなかなか快適でした。3日しか居てなかったのですが、かなり過ごしやすく、なぜ上海を選ばなかったのかと強く後悔しているほどです。

今回上海に行ったのは、観光と上海のアート状況を見て回るのが目的でした。北京ではアート関連の知り合いも全くおらず、いまいち中国のアート状況も分からなかったので、この旅では上海でギャラリーを経営されてるoffice339の鳥本健太さんを訪ねました。ちょうどoffice339に所属されているNamHyojunさんというアーティストが上海のギャラリーの企画展に出展されていたので、それも見に行ってきました。Hyojunさんは韓国籍で日本で生まれ育ち、現在上海在住という経歴を持つアーティストで、自らの出自をベースに作品を作っています。今回出していた作品は、一見のっぺりとした風景画に見えますが、そこには地政学的な意味合いやweb画像的な平坦さが含まれていて、なかなか興味深かったです。今年の春にニューヨークで日本のアーティストに会ったときにも思いましたが、海外でがんばっているアーティストに出会うと、色々刺激を受けますね。

二日目は上海に住んでいる友達に紹介してもらって、上海を色々観光しました。(僕の知っている)北京の街並みは、新しい建物と古い建物がきれいに分かれていて、そこで歴史が断絶されているような印象を受けるのですが、上海の街並みは古い建物と新しい建物がうまく調和していて、租界時代の歴史を街が引き継いでいるような印象があります。あと、たまたまかも知れませんが、上海のタクシードライバーの方が人当たりがいいですね。

今まで北京のごく一部を見ただけで中国を見たつもりになっていましたが、上海にも行ってみると「中国もそんなに悪くないかも」なんて思い直しました。北京から上海は結構安く行けますし、またちょこちょこ来てみたいと思っています。

あとof the neige -style-とのコラボで作ったシャツも最近発売しました!自分で作っといてなんですが、すごい柄のシャツなので、ぜひチェックしてみてください!



2012年11月16日金曜日

my bloody valentineの思い出・後編

前回の記事からのつづき

5.当時聴いていた音楽


マイブラとそのファンサイトの人たちから教えで、シューゲイザーやギターポップに傾倒するようになったのもこの頃だった。当時は甘い歌声と浮遊感のある轟音ギターサウンドには目が無かった。マイブラ以外で当時好きだったものを挙げてみると、rocketshipall natural lemon & lime flavorsbelle & sebastianmogwailuminous orangedamon & naomistereolabthe flaming lipsyo la tengoなどなど。

mogwaiは99年11月に心斎橋クアトロで初来日ライブがあって、マイブラのファンサイトの人たちと一緒に行った。あとdamon & naomiも02年に来日ツアーがあったのだが、彼らは非常に親日家な人たちで(アルバムのジャケにも寺の写真を使ったりしている)、実家の近くにある奈良の西大寺の民家で、人数限定でライブを行っている。これに行ったことも、数少ない自慢のひとつである。

日本のアーティストだと、一人で行った初めてのライブが99年夏のナンバーガール@心斎橋クアトロだった。ナンバーガールはこの頃にメジャー1stのschoolgirl distortional addictを出していて、当時高校生だった頃の気分とこのアルバムがばっちり一致したのを覚えている。ナンバーガールはその後秋にあったbloodthirsty butchersとのジョイントツアーにも行った。当時ミーのカーが出た時くらいのゆらゆら帝国の学園祭ライブも見に行っている。

あと京都のグリーンレコーズという京都のインディーレーベルにも夢中だった。このレーベルはマイブラのファンサイトの人たちの中で話題になっていたレーベルで、僕はとくにbambi synapseというバンドが大好きだった。このバンドはボーカル、ドラム、電子楽器という変わった編成で、電子楽器はTANZMUZIKやCX AUDIO IEのサワキオキヒデが担当していた。この人はいま祇園でだる満という京料理のお店をやっているんだけど、天才音楽家の一人だと僕は思っているので、ぜひ音楽活動を再開して欲しい。

99年末に京大西部講堂であったscience fictionというグリーンレコーズ主催のイベントも非常に印象的だった。このイベントではレーベル所属のアーティストの他、今は亡きrei harakamiと竹村延和も出ていた。このライブで衝撃だったのは竹村延和のライブだった。ラップトップ一台を前にほぼ動かず、そこから今まで聴いた事ないような音楽を奏でる姿はまるで科学者のようで、数々見てきたライブの中でも最もクールだった。これ以降、徐々にテクノにはまるようになっていく。

6.マイブラと雑誌

マイブラを聴きだすようになってから、音楽雑誌も読むようになりはじめる。ちょうどその頃、奈良にも初めてヴィレッジヴァンガードがオープンし、マイナーな本や雑誌も手に入るようになりはじめた。とくに自分がよく聴く音楽には伊藤英嗣という人がライナーノートを書いているということに気付き、氏の雑誌クッキーシーンを読むようになる。この雑誌はミュージシャンのインタビューはもちろん、音楽以外の記事も充実してい、それも面白かった。結構多くのライターがその雑誌に文章を書いていて、だんだん個々のライターについてもチェックするようになった。

その中のライターの一人に桜井通開(mojix)という人がいて、氏の作っているミニコミ誌shortcutとの出会いも大きかった。shortcutはミニコミ誌にもかかわらず扱うジャンルが広く、音楽や写真や哲学からエロまで、幅広い分野をクオリティーの高い内容で巻数を重ねていた。コピー機で作った印刷物をホッチキスで止めた簡易なつくりだったけど、本のデザインも凝っていて、今のzineブームを先取りするようなミニコミ誌だったと思う。このshortcutのwebサイトのチャットで近所に住むホイさんという人と知り合い、ホイさんからshortcutのバックナンバーや哲学の本、ガロ系の漫画、テクノのCDを貸してもらっていた。そしてホイさんから借りたエイフェックスツインのアンビエントワークスが、マイブラに次ぐ2度目の音楽的「覚醒」を与えてくれたのだった。

7.マイブラと奈良

奈良には僕の知る限り1件だけ個人経営のレコードショップがあった。Djangoという名のその店は、僕が物心付く前からあって、これだけ音楽不況の今でもまだ営業している。その店はピチカートファイブやフレンチポップ、ネオアコといったいわゆるオリーブ少女系の音楽が多くて、僕の趣味とはちょっと違っていたのだけど、グラスゴー周辺の音楽やステレオラブも扱っていたので、たまに顔を出していた。

店にはバンドのメンバー募集の貼り紙を貼るスペースがあった。だいたいメンバー募集の貼り紙には、好きなアーティストや募集パートが書いてあって、連絡先を千切って持って帰れるような仕組みになっている。偶然そこに目をやると、僕が当時聞いていた音楽とぴったり趣味が一致する人を発見し、別にバンドを組む気なんて全く無いのに、嬉しくなって電話をかけてみたことがあった。それがきっかけで、奈良の極小さい音楽シーンの人たちと知り合うようになる。

その奈良のシーンの中でも古株のバンドでStrawberry landというバンドがあって、そこのギターの東さんという人は、奈良の高校生の間で有名なcome togetherという古着屋のフリーペーパーのコラムを書いていた。そのコラムの中で東さんが僕のことについて触れてくれたことがあった。普段は高校の教室の隅で誰も共感してくれない音楽を聴いていたのに、そのコラムがきっかけでクラスのかわいい女子から話しかけられて嬉しかったのを覚えている。ちなみにその高校の同級生にlostageのギターの五味くんもいたのだけど、音楽好きは同じであっても彼はもっとモテていて羨ましかった。

高校の同級生はなかなか僕の好きな音楽に共感してくれなかったけど、当時通っていた美大予備校の友人には共感してくれる人もいた。中でも森内くんという音楽をやっていた友人がいて、彼からは他の音楽や機材の事についても教えてもらっていた。一緒にセッションをやったこともあった(僕はテルミンをいじくっていただけだったけど)。彼はcheekboneという名で今も音楽をやっている。rose recordsから出た彼の1stアルバムでは、僕がアルバムアートワークを担当させてもらった。

8.その後

高校2年の頃がマイブラやその周辺の音楽に最もハマっていた時期だった。その頃は自作のアイロンプリントでマイブラのTシャツを作り、学校に着て行くくらい大好きだった。でもそこから徐々に嗜好がテクノに移ってゆき、しばらくマイブラから気持ちが離れてしまう。2003年にロストイントランスレーションの音楽でケヴィンシールズが新作を発表すると聞いたときもそこまで乗り気になれなかった。あの映画の選曲センスは僕の好みと全く一致していたので、ソフィアコッポラに軽く近親憎悪的なものを感じていたほどだった(一介の大学生がソフィアコッポラに近親憎悪を抱くなんて、何様のつもりなんだろう)。

前にもブログで書いたように、北京に来てから再びロストイントランスレーションを見直すとすごく良かったので、サントラも聴きなおして、いま再びマイブラを聴きなおしている。そんな折に新作とライブの情報を耳にして、高校生の頃の自分からまた一周して再び元に戻ってきたような万感の思いを感じている。長々と思い出話を書いてしまったが、高校の頃にマイブラがきっかけで出会った人たちが、何かのきっかけでこの記事に辿り着いてくれたらとても嬉しい。

2012年11月13日火曜日

my bloody valentineの思い出・前編

北京は11月になって急に寒くなり始めました。これも寒さの序の口だと考えると気が滅入ります。。。今のところ来年の春に東京で展示をするような感じで話が進んでいて、それに向けての作品を作っています。また情報が公開できるようになりましたら、お知らせします。

ところで、1984年にアイルランドで結成されたmy bloody valentineというバンドをご存知でしょうか?最近このバンドが約20年ぶりにニューアルバムを出し来日ツアーをするということがニュースになっています。うかつな事に気付くのが遅く、チケット発売から結構経ってしまっていたのですが、運よく大阪初日のチケットを購入することができました。まさか今生の間にこのバンドの新譜とライブに出会えるとは思っていなかったので、非常に興奮しています。それと同時にこのバンドを愛して止まなかった高校時代の思い出が急速に蘇ってきました。そんな思い出話を書いていると結構長くなってしまったのですが、もし興味があれば読んでみてください。
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1.NHK-FMでの出会い

マイブラ(略すときはMBVと書くのが流儀かもしれないが、あえてかっこつけずにマイブラと呼びたい)との出会いは忘れもしない1999年、僕が高校2年の頃のゴールデンウィークだった。そのときはNHK-FMで90年代ブリティッシュロック特集を5夜連続でやっていて、地方に住む、音楽の情報に飢えた高校生の僕は、その番組をエアチェックしながら聴いていた。たしか第1夜はストーンローゼスがかかっていたと思う。へ~と思いながら聴いて向かえた第2夜。第1曲目を聴いてぶっ飛んだ。それがこの曲だった。

当時はちょうどメロコアが流行っていて、僕も高校の同級生たちの影響でグリーンデイやハイスタを聴いていた。あと美大予備校で出会った友人の影響でニルヴァーナもよく聴いていた。もちろんそれらの音楽は当時も今も大好きだけど、マイブラを聴いたときはそれとは全く違った、世界が一変するような、そんな衝撃を感じた。こんな音楽が存在することに驚いた。カセットテープに録音したこのラジオ番組は、曲だけ抜き出してMDに入れて本当に何百回も聴いた。今でもwhen you sleepはCD版での音質よりも、この自作MDに入っているラジオの音質、そして粗悪なカセットテープの影響でやや遅くなったBPMで聴くのが一番心地よい。

マイブラで衝撃を喰らった僕は、一気に聴く音楽が変わった。そのラジオ番組の第2夜はセカンドサマーオブラブ及びシューゲイザー特集で、プライマルスクリームやジーザス&メリーチェイン、そして当時出だしたモグワイなんかもかかっていて、それらが僕の全てになった。高校のメロコアを聴いてる同級生にも聴かせてみたけど、どうも反応が鈍くて乗ってこない。この素晴らしさを誰か理解してくれないのか、そしてマイブラみたいな音楽は他にどんなのがあるんだ、それに答えてくれたのが当時民間にも普及しつつあったインターネットだった。

2.90年代末のインターネット界隈

僕の家に初めてパソコンが来たのが確か僕が中3くらいの頃、windows 95が搭載されたFMVだった。一応時代の波に乗ろうと思って親父が奮発して買ったのだけれど当初は完全に無用の長物だった。僕も「インターネットでエロ画像がただで見れる」という情報を聞きつけて、インターネットにつなげてみるも、海外のエロソフトに騙されてしまい、NTTから数万円の請求書が来ることもあった(トンガに数時間通話した事になっていたらしい)。そんな事もあってパソコンをうまく活用できていない状態が続いていたのだが、何となくパソコンをつなげてyahooで「my bloody valentine」と検索してみた。

するとマイブラの日本語のファンサイトが結構出てきた。当時は個人のホームページが徐々に出てきだした頃で、なおかつ2ちゃんねるとかも出てくる前で、インターネットの世界はコアな人たちだけが平和的に盛り上がってる良い状態だったように思う。マイブラのファンサイト(やっぱり英単語は全部小文字が基本!)ではマイブラの紹介とともに、自己紹介やおすすめバンドや友人サイトへのリンク、そしてteacupの掲示板(BBS)が定番だった。

当時は高校生で金もなく、無料で音楽が聴ける便利なサイトなんて無かったので(100kbのjpeg画像ですら開くのに1分くらいかかった)、なかなかそこで紹介されてる音楽を聴くこともできなかった。そこでBBSをのぞいてみると、その例のラジオ番組のことが「あの番組すごかったよね」的な感じで話題になっていた。僕も嬉しくなって「すごかったです!録音して何回も聞いてます」という感じの事を書き込んでみた。それが多分人生初書き込みだったと思う。共感できる人間がいるのが単純に嬉しかった。その書き込みから二日後、メールボックスに知らない人からのメールが来ていた。

3.初めてのメールのやり取り

「***(死ぬほど恥ずかしい人生初のハンドルネーム)さん、はじめまして。私は大阪に住む大学生の***と言います。マイブラのファンサイトで投稿見ました。この前のNHKFMの放送録音されていたんですね。私はそれ、聴けてなくてすごく後悔しています。もしよければその放送ダビングして送っていただけないでしょうか?代わりに何か希望の音源(この時初めて曲のこと「音源」って言うことを知った)あれば、テープ送ります。」

こんな感じの内容だったと思う。それまでe-mailなんてほとんど使った事もなく、一応BBSの投稿でメールアドレスの欄があったので書いてみたのだが(ネット上のプライバシーもゆるい時代だった)、まさか返事が返ってくるとは思っていなかった。なおかつ女子大生から!なおかつ喉から手が出るくらい欲しい音楽を!インターネットすげーー、と思った瞬間だった。

手紙を書く習慣も無かった僕は、パソコンと格闘してかなり入念に文章を書いた。詳しい内容は覚えてないけど、マイブラが好きだと言う事と、地方の高校生でたくさんCDも買えない、だからカセットテープにダビングして欲しい、というような事を童貞高校生丸出しの気持ち悪い文体で書いたのだと思う。今仮に僕がそんなメールを童貞高校生から受け取っても、速攻削除すると思うのだが、その女子大生の方は丁寧にメールを返してくれた。話によるとその人は大阪芸大に通ってる人で、高校に教育実習に行ってるけどなかなか大変だという話だった。実際にテープのやり取りもして、無事マイブラの"loveless", "isn't anything", "you made me realize"のテープをゲットした。手書きの手紙まで添えてくれていて、これは今でも実家の引き出しの奥にしまっている。

4.マイブラのファンサイトに出入りする

その後、これに味をしめた僕はマイブラ関連のサイトに足繁く通い、BBSにも色々書き込むようになる。何を書き込みしていたのかは全く思い出せないが、たぶん高校生でマイブラを聴いてるという特殊性(マイブラリスナーは30歳前後の人が多かった)を存分に生かした、独りよがりな書き込みをしていたのだと思う。

当時はホームページのトップにカウンターを置く習慣があって、キリ番と呼ばれるキリのいい数字を踏むと(ゲットした人はキリ番ゲッターと呼ばれる)、ホームページの管理人からプレゼントをもらえた。マイブラ関連のページだとだいたい管理人が作ったコンピレーションカセットテープもしくはMDがもらえる。僕はキリ番ゲッター狙いでトップページを頻繁にチェックし、キリ番に近づくとリロードしまくってキリ番をゲットした。関西に住んでる人も多くて、たまに一緒にライブを見に行くオフ会もあった。僕は長男だったので音楽を教えてくれるような兄や姉の存在に憧れていたのだが、彼らはまさしくそんな役割を担ってくれた。

僕の記憶する限りで覚えているサイトをあげると、satocoさんの"burst into bloom"、gomoraさんの"life as a dog"、norikoさんの"マイブラ予備校"などがあった(検索してこの記事を見つけてくれると嬉しいな)。15年くらい前の話なので、たぶんみんないい年の中年になっているはずだけど、間違いなく来年のマイブラ来日は来るはずだ。なぜならマイブラの新譜やライブが、あのサイトに出入りしていた人たちの共通の夢、それはSF愛好家たちが宇宙人に出会う事を夢見るような夢想であったのだから。

後編につづく

2012年10月28日日曜日

北京の環世界

先月は北京への引越しやら反日デモやらで色々大変だったのですが、今月に入ってようやく落ち着いてきました。来た当初は毎日咳をしていて、騒音で頭が痛かったのですが、ようやく体もこの街に慣れてきたようです。人の体はよくできていますね。まあ寿命を縮めてるだけかもしれませんが。。。

最近読んだ本では国分功一郎さんの「暇と退屈の倫理学」という本が面白かったです。この本では「環世界」という言葉を紹介し、環世界の移動能力の高さが人間と他の動物の違うところである、だから人間は退屈しやすい、ということを書いていました。環世界というのはハイデッガーの言う所の何かに<とりさらわれている>ような状態を指すもので、この言葉を使えば、僕はこの一ヶ月北京に<とりさらわれた>環世界で生きていたわけです。絵を描いたり数学をしたりという創造行為は、そもそも「暇」があってできることですので、そのためには環世界を移動すること、すなわちこの<とらわれている>状態から、創造行為に<とりさらわれている>状態への移動が必要です。環世界の移動というのが、創造に結びついてると考えるとなかなか面白いですね。

絵を描く環境も整ってきたので、今月からまた製作を再開しました。先月の反日デモは強烈な体験だったので、何かあそこで感じたことを形にしたいなと思っています。北京は色々とめちゃくちゃな街なので、ネタには困らないかもしれません。生活環境が今までから劣化した分は、きっちり元を取りたいですね。

いま東京・青山のSpiralで開催中(10月27日~30日)のULTRAというアートフェアにTakashi Somemiya Galleryから絵を出しているので、もしよければそちらにもお越しください。

2012年10月3日水曜日

lost in translation 迷失北京


9月30日からの1週間は国慶節と呼ばれる中国の連休で、その期間日本に一時帰国することにしました。この期間はチケットも高いし、帰らないつもりでいたのですが、さすがに今回は色々疲れたので、休養のため実家の奈良に帰っています。一ヶ月ぶりの日本、何よりも空気が新鮮なのが素晴らしいです。北京ではずっと喉がイガイガして、咳込んでいたのですが、帰ってきたら一気に治りました。

先月18日をピークに反日デモは沈静化しましたが、尖閣諸島関係の諸々は未だ解決の糸口は見えていません。日本関係の出版物に規制がかかったり、日本関係のイベントが中止になったりと、文化にまでこの問題が波及するのは非常に嘆かわしいです。

ソフィア・コッポラが撮ったロスト・イン・トランスレイションという映画がありますが、北京で久しぶりにこの映画を見返してみると、共感と郷愁の入り混じった妙な味わいを感じました。この映画が公開されたのは2003年で、当時見たときは海外に行った事もほとんどなかったためか、あまり印象にも残りませんでした。しかし今見返してみると、言葉や文化の全く異なる大都会というのはまさに今僕にとっての北京そのものです。コミュニケーションの齟齬や孤独を感じる主人公たちに共感する一方、映画に出てくる日本的な文化や習慣にも懐かしさを感じます。また映画の中盤で主人公の二人が夜の東京へ繰り出すシーンがあって(当時の東京のサブカルチャーシーンが輝いてますね)、そのシーンは東京という都市のハレの場や祝祭性が描かれているのですが、今の北京の街もまたそんな浮わついた雰囲気を持っています。



of the neige -style- とのコラボも色々と発売し始めました。現在Tシャツストールクッションが発売中で、今後もまた色々なアイテムを出していきます。よろしくお願いします。

2012年9月19日水曜日

18日の北京

柳条湖事件の起こった日である今日は反日デモのピークとされていた日で、昨日までは何事も無かった日常も、さすがに今日は店側も警戒してか少し変化がありました。ある店は臨時閉店し、ある店は看板から日本語の文字を剥がし、ある店は中国国旗を掲げています。店側の対応は防衛のための自然な対応だとは理解はできますが、いつも自分が通っていた店がイデオロギーによって覆われてゆく様、それも我が母国を否定するかのようなその変化は、正直ゾッとするような恐ろしさを感じました。

反日デモ自体は中国の人口や規模と比べると小さなものだとは思いますし、暴動も局地的なものですので、実際北京に住んでいても直接的な被害を感じることはほとんどありません。ただ暴力がメディアを通して人々に恐怖感を与え、それが身の周りの生活環境にも影響を及ぼし、文化にも政治的イデオロギーが介入してくるということに恐怖を感じます。日に日に日中外交は難しくなっていますが、暴力だけは避けてほしいと願います。

2012年9月18日火曜日

ここ数日の北京

尖閣諸島国有化以降、日中間の溝はさらに深まり、ここ最近はニュースでも連日デモについて取り沙汰されています。幸い僕の身のまわりでは大きな変化はありませんが、略奪や破壊の被害を受けた日系企業や関係者の方々は気の毒でなりません。デモをするのは結構ですが、大義名分に乗して略奪や暴力を行使する人々やそれを容認する人々には強い憤りを感じます。

僕の友人や職場の中国人の多くも今回の件については嘆いていますし、多くの中国人はもうちょっとまともな神経を持っていると信じています。実際今回の暴動も中国の人口の極一部に過ぎません。確かに今の中国の社会には歪みが多いですし、日本の外交はお世辞にも上手とは言えませんが、こういった形で不満のはけ口にされるのはたまったもんじゃないですね。

一応、明日18日がデモのピークだと言われています。これ以上の被害が出ない事を切に祈っています。


2012年9月7日金曜日

そして北京に

個展のオープニング無事見届けた後、次の仕事場のある北京に引っ越しました。個展の"Oriental"というタイトルは、日本で育ててきた感性や物の見方を東アジア的(オリエンタル)な視座に広げてゆきたい、という展望も込めてつけたタイトルなんですが、皮肉にも8月くらいからの諸々の出来事により東アジア情勢は悪化することとなりました。北京へは8月末に着いて、今でちょうど一週間ほどたちますが、こっちいてみると意外とそういった反日的な雰囲気は感じないように思います。

それよりも日々の暮らしのギャップが大変で、食べるものにせよ、住む場所にせよ、道を渡るにせよ安心できる隙がありません。台湾ではあんなに美味しかった中華料理がこっちでは全く違う味だし、住む場所として与えられた場所はびっくりするような場所だし、船便で送った荷物も届いてないし、などなど数え上げるときりがないですね。

唯一の救いは北京で色々とサポートしてくれる友人や仕事場のスタッフがいることで、彼らが居なかったら便所の紙すら買えなかったと思います。中国はしばしば「関係(ぐゎんしー)」の国だといわれますが、まっさらの状態で行って生きてゆくのは大変だなあと思いました。

暮らしは決して良いとはいえませんが、色々な所から人が集まっていて、混沌としたエネルギーが街からは感じられます。今まで行ってきた国とはまったく異なる異世界のような場所ですが、なんとかがんばってみたいと思っています。

東京では今月下旬まで個展をやってますので、そちらもぜひお越しください。

"Oriental"
2012年8月25日(土)~9月28日(金) 日・月・祝休み
Takashi Somemiya Gallery

2012年8月20日月曜日

個展のお知らせ

今週の土曜から東京・江戸川橋のTakashi Somemiya Galleryで個展を開催します。ぜひお近くに来る際はお立ち寄りください。


会期/2012年8月25日(土)~9月28日(金)

会場/タカシソメミヤギャラリー 
〒112-0014 東京都文京区関口1-24-8 
TEL03-3267-0337 
http://www.takashisomemiyagallery.com 

営業時間/13:00~19:00 
定休日/日、月、祝日
最寄り駅/東京メトロ 江戸川橋駅 (1a出口) 徒歩5分

これまで自らのバックグラウンドである日本的な文化背景をもとに作品を制作してきたハヤマトモエ、その作家としての出発点は自動車模型に使用されるステッカーを貼り合わせて作った小品でした。その後は大作にも挑戦し、小さなステッカーを使用するのではなく、絵柄や文字それぞれをカッティングシートで切り出して貼りあわせる、という独自の表現方法に至ります。筆などで支持体に描画するPaintingとは異なるその技法(Pasting)によって、一色づつの貼り込みが層となる彫刻的テクスチャーができあがり、それまでには見られなかった物質的な立体感が生まれました。

初期の作品ではサブカルチャー的なテーマが多く見られましたが、近作では古典的な日本画の要素も多く作品に取り入れています。例えば伊藤若冲が描いた軍鶏や歌川国芳が描いた骸骨など、江戸時代の絵師たちが用いた動物や妖怪などのモチーフを作品中で使用し、それらの構図やデザインを参照しています。また同時にそこにはアメリカ的なタイポグラフィーや日本の漫画、怪獣映画の要素が混在し、古今東西の文化がミックスされた面白さがあります。


2010年から作品制作の拠点を台湾に移したハヤマは、これまでの日本での活動範囲を東アジアに広げています。これまで「日本」の中で培われた彼の視点に、さらに東アジア的な視点が備わることも期待されます。この展覧会では、彼による新たな「オリエンタリズム」を感じることができることでしょう。


作家コメント
今回の作品展では過去5年間ほどに作った絵を展示します。その間は引越しすることが多く、大阪に2010年まで居た後、東京とパリに2ヶ月ずつ滞在し、そこから台北に2年ほど住んでいました。
作品の遍歴は、自分の視点の遍歴でもあります。環境が変わることで自分の視点や考え方も変化してきました。この9月からしばらく中華圏の都市に引っ越すこともあり、現在は東アジア的な遠近法や視点、またその中での新たな「日本」的な視点の再発見に興味があります。

2012年8月3日金曜日

再見台湾

先月7月末をもって台湾での任務が終了し、台湾を離れることになりました。台湾には2010年の8月からおよそ2年間滞在していたことになります。台湾は本当に素晴らしい国でしたね。この2年間、ホームシックにかかることもなく、むしろ日本に帰ったときにもたまに台湾が恋しくなるくらい、台湾には愛着を感じています。当初、台湾は偶然行くことになった国に過ぎなかったわけですが、台湾を選んで大正解でした。雨が多いのと、美容室で変な髪型にされることを除けば、人は親切だし、食べ物は旨いし、女の子はスタイルがいいし、最高だったと思います。

8月中は日本で過ごし、9月からしばらくまた他の中華圏の都市で働くことになりました。正直中国語は驚くほど進歩しなかったので、もうちょっとがんばりたいと思っています。

2012年7月19日木曜日

of the neige -style

Photobucketof the neige -style-というブランドとコラボレーションしました。この秋冬のジャケットなどの商品にぼくの絵が使われています。先日展示会で一足先に試作品を見てきましたが、非常にいい出来で感激しました。販売情報などまた随時お知らせします。

 of the neige -style-は、渋谷109 Men'sに店を構える、巷ではお兄系とかオラオラ系と呼ばれるファッションブランドです。ぼくの今までの交友関係ではあまり出会わなかった感じの世界ですが、こういう形でお仕事が出来てとても光栄でした。そもそもここのブランドのプロデューサーの方が偶然ぼくの絵を目にして、そこから声を掛けていただのですが、こういう全然違う世界の人たちと絵を通して繋がるというのは、絵を描く仕事の醍醐味の一つでもあります。

 このブランドはもともと男くさい無骨で硬派なイメージが特徴で、ぼくの絵とはかなり違った印象です。今回のコラボレーションで新たな化学反応を起こせればと考えています。アウトローの世界の装飾美、例えばスカジャンや刺青、デコトラやアロハシャツなどのアイテムには昔から興味があって、作品でも影響を受けてきました。新しい今の時代の男の「かっこよさ」を、このコラボレーションで提示したいと思っています。




最後に電気グルーヴの名曲「かっこいいジャンパー」の一節を参照させていただきます。


かっこいい 見たことないよなジャンパー 
かっこいい まだ誰も着てないジャンパー 
かっこいい どこ見てもイカすぜジャンパー 
かっこいいことするときのためのジャンパー

2012年6月22日金曜日

故宮博物院

台湾といえば故宮博物院ですが、住んでるといつでも行けるものだと思ってしまうもので、2年前に台湾に来てから故宮へは一度も行ってませんでした。7月末に台湾を去ることが決まり、今になってやっと故宮へ行ってきました。

故宮博物院では清朝が所有していた美術工芸品が陳列されています。中でも印象的だったのは、乾隆という皇帝の所蔵していた陶磁器でした。この皇帝はかなりの好事家だったようで、故宮でも彼の所蔵品が多く所有されています。面白かったのは彼が所蔵してた骨董品の陶磁器には、彼が作った詩が彫ってあることでした。詩の内容はその骨董品についての感想などです。今の時代の価値観からすると(当時の価値観でもそうだったかもしれませんが)、高い金で買った美術品に自分の感想を書き足したりする人はいないでしょう。

作品に対する扱いは、概して今と感覚が違っていて面白かったです。ある書画の作品にはパスポートのようにハンコがたくさん押してありました。不思議に思って尋ねたところ、これは所有者が変わるたびにその所有者のハンコを押していってたようです。さらに歴代の所有者の名も、書の後ろに書き連ねられていたりします。このように作品には所有者の痕跡が残されており、オリジナルの状態をできるだけ保つ、という今の美術の保存の基本とかなり異なります。

故宮博物院は僕の地元の奈良・正倉院展を思い出させました。清朝の乾隆と同じように、奈良時代にも聖武天皇という稀代の好事家がいました。正倉院展ではこの帝によって収集された膨大なコレクションが、毎年その展示品を変えて展示されています。そして今のところ、正倉院展は日本で一日あたり最も人を集める美術展です。奈良時代は100年にも満たない短い期間でしたが、その期間に奈良を現在まで続く巨大な観光都市に作り上げた聖武天皇の文化的功績は計りきれないものがあります。


故宮の展示品は壷や書が多く、見た目が地味で退屈しがちですが、いろいろ背景を聞いて納得する部分がありました。いいガイドを付けて見て回ることをお薦めします。

2012年5月30日水曜日

YOUNG ART TAIPEI


 5月11日から13日まで台北のホテルでアートフェアがあって、STAYREALという台湾のギャラリーから出させてもらいました。このアートフェアでは主に20代30代の若いアーティストを中心に集めていて、日本のギャラリーも多く参加していました。ここでの雑感を書いておきます。

親日的な国柄もあり、台湾では日本の現代美術に対する関心が高いのは確かです。でも絵を買うコレクターの気質となると少し異なるように感じました。台湾のコレクターは日本のコレクターよりも、その作家が成長するかどうかを重視しているような気がしました。聞くところによると、やはり投機目的で買う場合が多いようです。これまで2010年にアートフェア東京に参加させてもらい、今年3月にニューヨークのアートフェアに遊びに行って、そして今回のフェアに参加させてもらいました。そこで受けた印象だと、日本ではパッと見を重視し、アメリカでは作品のロジックを重視し、台湾では作家の成長を重視する、そんな違いを感じました。

作品コンセプトも、自分を含め日本の作家は「日本」の枠が強すぎるような気もしました。例えば自然や動物、宗教をモチーフとした絵などは、中華圏でも似たようなモチーフが使われ、コンセプトも共有する部分が多いです。こういった共通部分について「日本ではこうだけど、中華圏でいうとこういうことだ」ということをうまく説明できればいいなと思いました。福嶋亮大氏が指摘するように、日本美術における「奇想」のコンセプトなどは、東アジアにその源流を求めることができます。そういった広い視点で作品を作ることを今後の課題にしたいです。

Young Art Taipeiの翌週に香港ではART HKというアジアで一番大きいアートフェアがありました。こちらは欧米からのギャラリーも多く参加し、西洋的な雰囲気だったようです。このアートフェアはスイスのアートビジネスを行う会社に買収されたので、今後は西洋化が進んで行くだろうし、西洋的なスタンダードなアートビジネスの中心が香港であることはしばらく変わらないと思われます。同じ中華圏でも台湾と香港、そして大陸では色々状況も違っていて面白いですね。

2012年4月26日木曜日

STAYREAL

5月11日から13日まで台北のホテルで開催されるアートフェアYoung Art Taipeiに出すことになりました。 2010年8月に台湾に来て、なんとかこっちのギャラリーから出してもらう所まで辿り着けました。 日本から台北までは片道3時間くらいで来れるし、チケットも高くないので(安ければ4万円くらい)、ぜひ遊びに来てください!

今回のアートフェアは台湾のファッションブランドStayrealのギャラリーから出展します。 このブランドは五月天(MAY DAY)という中華圏ですごく人気のあるバンドのボーカルの阿信がやってるファッションブランドです。 台湾や香港、上海で店舗を出していて、最近原宿でも店舗を出しました。 このブランドはポップアイコンを使ったファッション展開が特徴で、マウジーと呼ばれる鼠のメインキャラクターを中心にドラえもんやキティ、スヌーピーなど日本やアメリカのキャラクターとコラボレーションした商品を多く作っています。最近では蜷川実花とコラボレーションが注目を集めてました。 このブランド自体は最近できたものですが、五月天の人気と相まって成長し、ファッションだけに留まらず若手アーティストのプロデュースもしています。 少年・少女的な感性がファッションや写真、アートの世界を侵食してゆく様子は15年ほど前の(まだもうちょっと元気だった頃の)日本を見ているようです。

Stayrealとは、去年のYoung Art Taipeiのときに作品を見せてから交流が生まれました。 日本の少年的な感性を絵にした僕の作品は彼らの方向性と相性が良かったのだと思います。 とくに台湾の場合は日本と文化的なバックグラウンドが非常に近く、若い人たちは日本の漫画やテレビ番組、ファッションや音楽などに親しんで育ってきました。 それは単に一部のオタクや日本好きだけではなく、一般大衆レベルまで広く浸透していると感じます。 こういった土壌から僕の作品の日本的文脈が理解しやすかったのではないかとも思われます。

とにかく台湾、ひいては中華圏への第一歩として、なんとかうまくいってほしいところです。

2012年3月27日火曜日

ARMORY ARTS WEEK


2012年2月の下旬ごろから一ヶ月ほど数学の仕事でアメリカに出張していた。出張先は東海岸で、ちょうどその時期にニューヨークでアートフェアをやるということをhpの戸塚さんから聞いていたので、仕事の合間の3月9日10日と16日~18日にマンハッタンへ遊びに行った。この滞在は非常に刺激的だったので、すこし書き留めておこうと思う。

ちょうどこの時期、ニューヨークではthe Armory showという巨大アートフェアが行われていた。このアートフェアの期間中ニューヨークはアートウィークで、マンハッタンでは各地で色んなアートフェアが開催されている。その中の一つにhpgrp galleryが主催のNew City Art Fairがあった。hpgrp galleryは日本のファッション・インテリア・アートを扱う会社h.p. Franceが運営しているSOHOにあるギャラリーで、このアートフェアはhpgrpのギャラリースペースを使った日本のギャラリーと作家を集めたアートフェアだ。今回のニューヨーク滞在はこれらのアートフェアを見に行くのと、相島君に紹介してもらったアーティストの池添彰さんに会うのが主な目的だった。これまでにもニューヨークに行ったことがあったが、それはガイドブックに載っているような所を見て回った程度の観光だったにすぎなかった。今回は池添さんをはじめ現地の日本人アーティストたちと色々出会ってお話できたのが収穫だった。

New City Art Fairの関連イベントで、ニューヨーク滞在の日本人アーティストのスタジオを見て回るstudio visit tourがあった。その中で訪れたアーティストの一人である北出健二郎さんと、運よく一緒にお酒を飲んで話をする機会に恵まれた。彼は羊をモチーフとした丸っこいフォルムのセラミック作品を作る陶芸家で、作品の愛らしいフォルムとは裏腹にそこには社会的・政治的なメッセージも含まれている。ぼくは彼の"Atomic Shakers"という作品を購入した。これは日本に落ちた二つの原子爆弾をモチーフとしたこしょうケース型の作品で、食卓上にオブジェとして置いている。

またstudio visitで訪れた作家の一人である大山エンリコイサムさんにも会う機会に恵まれた。彼は独自の技法でグラフィティ作品を制作していて、グラフィティに関する論考も発表している。ストリートの感性だけではなく、理知的に作られたグラフィティは非常に興味深かった。studio visitでは10分くらいの滞在だったため、もう少し話を聞いてみたいと思い連絡をとってみた。彼はAsian Cultural Councilというgrantでニューヨークに来ているのだが、同じgrantのインドネシアから来ている舞台芸術家のアーティストのfarewell partyをするらしく、そこに誘っていただくことになった。クイーンズのアパートの一室で行われたパーティーはアジアの国々から来たアーティストたちが集まり、ニューヨークという街の多民族性や祝祭性を感じた夜だった。

クイーンズにある池添彰さんのスタジオにも個人的に訪れた。現在製作中の横5メートルにも及ぶ大型作品はすごい力作だった。池添さんの絵は自然の風景と複数の裸の男たちが戯れる様子を俯瞰のパースで描いているのが特徴的だ。そこには服を脱ぎ捨てて社会的階層から自由になった人々のユートピア的な風景が広がっている。油絵なのだが、やわらかい色彩と繊細で滑らかなタッチで描かれている。彼の作品も一目惚れして、小型の作品を買うことに決めた。

他のアーティストの作品をちゃんとした値段で買うのは、今回が初めてであった。低収入の私にとって作品を買うことは少し決断のいることではあるが、作品に惚れたというのはもちろん、彼らの気合いや心意気に惚れたというのも買う一因となった。またこのアート微熱状態なニューヨークの空気にやられてしまったのも大きい。この場の祝祭性こそアートの現場が持つ力であろう。しかし一方、自分の問題もここに来て浮き彫りになった。ニューヨークで出会ったアーティストは作品の質もさることながら、軒並み語り言葉が強かった。そして絵を売ることに対してもっと気合いが入ってた。またアートフェアでは村上・奈良以降の世代の若手日本人アーティストは全然存在感がなく、自戒の意味をこめてもっとがんばらないとダメだと思った。